May 30, 2007

第5回リアクション E1 S−1


魂と不安 (Angst essen Seele auf)



 仮初の命と言えど 其は永久に非ず
 今こそ 静止に入り込む
 しかあれど この魂はなんとなる
 薄らぎて 空となるか


 S−1 荒馬と女

 《アルカディアにもいるもの》の副学部長、テオフラスト・パラケルススは新たに一人の弟子を迎え入れていた。その弟子の名をミアという。先ほど『ゆりかご塔』を出たばかりの、10歳の少女だ。
 学部長選挙の近いこの時期に弟子を取るとは、何らかの政治的な駆け引きがあったのではないかと勘ぐる者も少なくない。それは確実に自分に入る『一票』であろうからだ。
 当の本人はそんな事は露知らず。

 月曜日。アルカディア島を出発する前に、テオフラストはミアの事を弟子たちに紹介した。
「儂の新しい弟子じゃ。ミアと言う。」
「よろしくおねがいしますっ!」
 元気よく挨拶するミア。頭のリボンと髪の毛が大きく跳ねる。
「そうじゃな……コリューン。当分こやつの面倒をみろ。」
「え? わたしがですか?」
 教育係に指名されたのは、ミアと同じ歳のコリューン・ナツメ。『ゆりかご塔』を出る時期が違う為、コリューンの方は3年以上の修行年数を誇る。言うなれば姉弟子だ。
「よろしく、コリューンちゃん。」
 しかし、まだ上下関係を正確に把握していないらしい。

 アルカディア島とコリア島の往復に、テオフラストは馬を利用している。ただの馬ではなく、彼の手による人工生命体だ。それは馬車の形をした馬だった。八人は乗れる。
 テオフラストとその弟子たちが乗り込む。右側の席にミア、コリューン、12年目のグレイ・アズロック、11年目のユリウス・オラトリウス。左側にテオフラストと、意識不明の状態のインザーラ・ティス助手。どうやら、学院に連れて行って治療を続けるらしい。
「ユリウス、例の授業の方はどうなっておる?」
 テオフラストが切り出す。ユリウスの受けている「例の授業」というのは、《鎚と環》学部長レディティオ・マニウスの授業だった。色々と気にしているのだろう。
「ええ、まあ。特に大きな動きはありません。クロノスは相変わらずですし。」
 クロノスとはレディティオの弟子、クロノス・サイクラノスの事だ。18年弟子をやって未だに卒業できていないという、ちょっとした有名人。
「奴も不肖の弟子を持って、大変じゃな。ほっほっほ。」
 楽しそうに笑うテオフラスト。テオフラストとレディティオの不仲もまた、学院では有名な話だ。
「ところで、インザーラさん、治るんですか?」
 グレイが疑問を投げつける。
「駄目じゃろうな。マンドラゴラが手に入らないとなれば。」
 あっさり答えるテオフラスト。
 そんな会話を乗せながら、馬は学院に向かって走り続ける。

 授業の無い時間、テオフラストは教諭塔にある自室に篭り研究に没頭する。学院に来たばかりのミアは、それにつき合わされていた。インザーラの治療を介して、何か得るものがあるのかも知れない。特別授業と言った趣。
 テオフラストの部屋は、壁一面に籠や檻が配されている。中にはもちろん、彼の手による人工生命たちが暴れまわっている。それらの発する鳴き声が、終始部屋中にこだましている。一言で言うと騒がしい部屋だ。
 窓側にあるベッドには、インザーラが横たわっている。呼吸をしているのかも分からないほど、静かな状態だ。
 その横で、無垢のローブを羽織るテオフラストは、なにやら薬を煎じていた。
「ミア、ラプンツェルと百日草を取ってくれ。」
「はいっ、テオちゃん!」
 ごつん。
 テオフラストの拳骨が飛ぶ。ちなみに自分の拳ではなく、杖の先についている拳だ。
「いった〜〜い。」
「儂の事は『師匠』、あるいは『先生』と呼ばんか。おぬしには尊敬の念というのはないのか。教育がなっとらん!」
 教育する立場の人間の台詞とは思えない。しかし、師匠をテオちゃん呼ばわりするとは、ミアもなかなか肝が据わっている。何も考えていないだけかも知れないが。
「えっとぉ……じゃぁ師匠ちゃん!」
 ごつん。
「『ちゃん』はいらぬわ。はよ、ラプンツェルと百日草を。」
 ミアは頭に出来た二つのたんこぶをさすりながら、薬草を師匠に渡した。
「これでいいの?」
「……おぬしはラプンツェルとほうれん草の違いも分からんのか。」
 テオフラストは呆れた顔をして、結局自分で取りに行った。最初からそうすれば良いのに、とも思ったが、これも指南の一環なのかも知れない。
 完成した薬をインザーラに飲ませる。しかし、大きな変化は見られない。
「やはり、限界かの。」
 テオフラストは諦めたように首を振る。
「ねぇ、インザーラちゃん、死んじゃうの?」
 まだ頭をさすりながら、ミアは問いかける。
「死ぬ……まぁ、そうかの。静止する、かも知れんが。」
「?」
 首を傾げるミア。
「ねぇ、それより、頭がまだ痛いんだけど……。」
「その程度、自分の魔法でなんとかせい! と言いたいところじゃが、おぬしにはそれすらまだ出来んか。」
 そう言うと、ミアの頭に手をかざし、手短に詠唱する。
「どうじゃ?」
「……あれ? すっご〜い! ぜんぜん痛くなくなった。ありがとう、テ……。」
 テオフラストが杖を振り上げる。
「……じゃなかった。師匠。」
「うむ。まぁ、この程度の治療ならば、一週間もすれば習得出来るじゃろう。精進せい。」
 これらが、一日目の出来事だった。






Posted by hastur at 08:30 P | from category: リアクション | TrackBacks
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