May 03, 2006

第8回リアクション E1 S−1


 ある孤独に関する物語


 ここに来て色んなものが見えるようになったと思う。
 やらなくてはならないこと。
 やったほうがいいこと。
 やってもいいこと。
 やりたいこと。
 やってはいけないこと。
 やらないほうがいいこと。
 やらなくてもいいこと。
 やりたくないこと。
 やってもやらなくてもいいこと。
 未だにその境目は曖昧だけど、少しずつ見えてきている気がする。
 そしてあたいが今からやろうとしていることは…。


 わたしの職業は歌うたいだが、歌うたいに成るのは簡単だ。歌えばいいのだから。
 言葉はよく怠ける。自分の言いたいことを、きちんと伝えてくれないことがある。そんな時、わたしは歌を唄う。
 普段言えないような事も、歌の中に託せば伝わるような気がするのだ。
 だから、想いが届かない時は歌ってみるといい。誰でも歌うたいに成れるのだから。


 S−1 色彩の依頼心

 僕は地下にあるリンプさんの研究所を訪ねていた。目的はただ一つ、リンプさんを説得するためだ。
 僕が彼女の所へ降りていった時は、リンプさんはぼんやりと思案しながら、パイプを燻らせているところだった。
 パイプは……一時的に気分が楽になったり、発想力が高まったりするが、吸いすぎは体に悪いと昔聞いたことがある。でも彼女はここにいる限り永劫に近い命が保障されているのだし、そういうデメリットは無視しているのかも知れない。
 彼女の眼前の机には一枚の羊皮紙が置かれていた。リンプさんはその紙を眺めながら、もう一度パイプを吸う。
 リンプさんは僕に気づくとゆっくりと挨拶を交わし、ドンちゃんも吸ってみます?と、パイプを差し出した。
 僕はやんわりと首を横に振って、本題を切り出した。
 リンプさん、あなたはこのままここで永遠に魔法を完成させるためだけに生きてきて、それで何も望みはしないと言うんですか?
 はっきりと言い切った。僕はリンプさんの、本当に望んでいることが知りたかった。
 ……いえ、私は外に出たいと思ってます。先日言った通りに。
 だったら、強く外に出たいと念じてみましょうよ。ここにいる全員で。そうすれば、あの鉄のように固い扉も開くかも……。
 駄目ですね、きっと。今ここにいる者の中で、外に出たいと思っていない者はいないはず。それでも扉は開かないのです。
 彼女は冷静に反論した。それは外に出たいという願望の裏返しにも思えた。
 だったら、どうすれば……。
 魔法を完成させるんだよ。
 後ろから声がした。いつのまにかジェイルが来ていた。何か決意を秘めているようにも見えた。
 え? でも、魔法が完成したら、僕達にも効くんでしょ?
 魔法を完成させることと、使うことは別……そうだよな、リンプ?
 ええ。
 そうだったのか。僕はそこの所を勘違いしていたようだ。
 リンプ、魔法の触媒のトコにナゾベーム、ユープケッチャ、ハネネズミって書いてみてくれる…?
 はい……。
 リンプさんはジェイルの言われるまま、羊皮紙にエルフ語で書き始めた。少し緊張した面持ちで。
 その間、僕は外に出られるかも知れないという期待よりも、訳の分からない不安を感じていた。でも僕にはそれを止めさせることは出来なかった。じっと見守るしかなかった。
 そして書き終えた瞬間。
 あの柱時計がけたたましく鳴り始め、視界に変化が表れた。
 リンプさんの白い髪が白くなかった。というか、周りの全ての物の色が感じられなくなっていた。ジェイルの頭の上にいる鳥も、青く感じなかった。
 どうやら、模擬が始まったみたいですね。
 館が書き終えた魔法の設計書を読み取り、模擬を始めたようだった。リンプさんは複雑な表情で、しかしじっと座ったままで結果を待っていた。
 魔法の影響が少しだけ館の中に漏れているみたいですね。模擬が終わればまた元に戻ると思いますが。
 しばらくすると、今度は館が揺れ始めた。
 ねぇ、二階に残ってるラグさんにこの事いっとかなきゃ。混乱してるかも。
 そうだね。
 僕達はリンプさんをここに残し、上の階へ上がっていった。

 ホールまで戻ると、何かが目の前を横切った。
 それは猫だった。
 色が分からないので、それがクラヤミなのか、とっさに判断することが出来なかった。
 クラヤミらしいその猫は、僕達に目もくれず食堂の方へ入っていった。僕達の方もそちらを追うことをせず、螺旋階段を上った。
 そして二階に着いた時、僕達は思わず足を止めてしまった。
 ラグさんには黄色の扉の部屋を使ってもらっているのだけど、今は色が分からないので、どこがどの部屋だか分からなくなってしまった。
 結局手当り次第扉を開けていった。そこは浴室だったり、自分の部屋だったり、空室だったりした。
 五つ目の扉で、やっとラグさんと会うことが出来た。
 これらのことで、人間を滅ぼす魔法の内容が何となく分かった。これは人間の感覚を奪う魔法なんだ。色が分からなくなっただけでこれだけの苦労を強いられる。もし五感、全てを奪われたら……きっと人間は何も出来なくなる。

 何事ですか、これは? 目が変ですし、こんなに揺れて……。
 今、館が魔法の模擬をやってるんだ。上手くいけばもう入り口の扉が開くはず……とにかく荷物をまとめて一階に降りておこう。
 ジェイルの説明と指示にラグさんは頷く事しか出来なかった。






Posted by hastur at 07:42 P | from category: リアクション | TrackBacks
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