October 27, 2004
第0回リアクション E1 S−1
第0回リアクション E1 ハスター
ある運命に関する物語・A
僕がここに来て一年が経った。あるいは一日が経った。
そしてこれが終わりではなく始まりであることも知っていた。
S−1 星の感触
僕が新しい星座を作ってやろうと思ったのは、一学期の始業式が始まる前の種蒔き休みのことだった。
それまで学院の図書館を漁っていたのだけど、星座表の空白が多いことに気づいたからだ。多分学院の歴史がまだ浅いからだと思う。
新しい星座を作るには、まず既存の星座に含まれていない星や、未知の星を見つけなければならない。当然十等星くらいの星まで探さなきゃ駄目だと思った。
その為に、僕は学院の天文台を訪れた。
……時期が悪かった。今の時期は春の観測会と称して、天文台は学者たちに占領されていた。学院の施設利用の優先順位はいつだって学者が上だ。僕の計画は早くも暗礁に乗り上げた。
でも僕は大して落ち込まなかった。方法はまだあるはずだ。多くの友達や学者によく星の見える場所がないか聞いて回った。そしてその間も手製の小さな望遠鏡を片手に家の屋根からでも観測を続けていた。
程無くして吉報が舞い込んだ。後から考えると、これが吉報だったかは疑問だけど、とりあえずこの時は吉報に違いなかった。そして知らせを持ってきたのはジェイルだった。僕はこの時のやりとりをよく覚えている。
彼女は街の広場で仲間とボール遊びをしていた僕を見つけると、走ってやってきて一言言った。
クォリネに行こうっ!
それだけ言うと仲間に、これ、借りるよ、と告げて僕を引っ張り出した。
僕がきょとんとしてると、彼女は早口で説明を始めた。
ルアが星のよく見えるところを探しているって小耳に挟んでね。実はあたい、ちょくちょくクォリネまで行ってるんだ。聞いたことない?「奇跡の地」って。あそこは特に高い場所じゃないんだけど、アセイラムで一番星がよく見える村なんだ。上空は常に晴れ渡ってるしね。
僕はその話を聞きながら、自分でも頬が緩んでいくのが分かった。そんな僕の顔を見ながら、ジェイルは話し続けた。
ついでに言うと、あそこは珍獣の宝庫でもあるのさ。あたいは狩りの修業と食材の確保を兼ねてあそこによく行ってたんだけど、この春はちょっと謹慎中でね。ちょうどクォリネに行く口実を探していたのさ。
ジェイルはいたずらっぽく笑った。僕を出しに使おうってことらしい。でもそんなことは関係なかった。僕は喜んで話に乗った。
ジェイルの本名は……確かジェイリーア・ノースウィンドだった。一応の下流貴族の娘で、僕と同じ天文学を専攻していた。年も同じだった。
見かけはそれほど貴族貴族してなくて、女の子女の子もしてなかった。かといって地味でもなかった。どちらかというとお祭り屋という感じで、騒動の起こるところには欠かさず顔を出していた。
僕はどちらかといえば奥手のほうで、女の子の前だといつも上がってしまう。でも、ジェイルが相手だと、男子の友達たちと同じような気がした。
出立は2月14日(註:我々の世界での4月にあたる)の朝だった。ジェイルは二頭、馬を用意してくれていた。ジェイルは自分用の葦毛の馬に跨がり、僕には焦げ茶色の馬を貸してくれた。
僕はあまり乗馬の経験がなかったけど、彼女が先生役になってくれて結構スムースに乗りこなせるようになった。僕の上達がかなり良かったのか、彼女は、なかなかやるじゃん、と声をかけてくれた。それでもジェイルほど御するまでには到らなかった。
暖かい新緑の中を走り抜けるのは気持ちが良かったけど、長い騎乗でおしりが痛かった。
一番心配していた野党との遭遇もなく、僕らは昼過ぎにはクォリネに着いた。
クォリネに着いてまず感じたのは、村人の外見の異様さだった。みんながみんな鍔の広い帽子を被り、手足も肌を見せないように手袋や長い靴を着用していた。僕らも着いてからすぐ、帽子と手袋を貸し与えられた。ジェイルはこういうことに慣れているらしく、訳を教えてくれた。
ここには他の地方とは違う言い伝えがあってね。「過去は太陽、今は星、未来は月」って言う言葉があるんだ。太陽には未だ生まれざるもの、月には生を終えたものが住んでいると言う意味でね。新しい生命は陽光よりこの地に降り、死者の魂は月光により月へと昇る。そしてクォリネの住人は、新生の光である陽光は既に魂を宿す器には強烈であるため、直接浴びるのは危険。陽光はまず大地に注がれ、そこから新しき魂を授かるべき、って考えてるんだ。だからこうやって、直射日光を浴びないようにしてる。あと……死者の光である月光を三千夜浴び続けると生ける屍となってしまう、とも考えてるみたい。
郷に入れば何とやら、ということらしい。僕は新生の光を浴びないように渡された帽子を軽く被った。
それから僕は村の様子を見回した。前に聞いていた通り、村の上空は奇麗に晴れていた。そして地面は乾ききっていて、雑草さえ一つも生えていない。
村の規模は小さく、家も30くらいしかなかった。でも観光地として成り立っているらしく、宿屋は2軒あった。僕らはそのうち納屋のあるほうに入ってひとまず休憩した。ジェイルは今日の陽のある内に狩りに出たがってるようだった。
なぁ、あたい、狩りに行きたいんだけど……付き合ってくれよ。代わりに観光案内してやるからさ。
え? 今すぐなの? 別にいいけど……。
僕は彼女の申し出を何となく、ちょっと疲れていたけど、受け入れた。どうせ夜になるまで、僕はやることがなかったことだし……。
僕らは休憩もそこそこに、再び馬に跨がった。ジェイルの先導にしたがって村から南へ進むと、村の建物とは明らかに違う建造物があった。
これが白い館ってやつ。何でもだいぶ昔からある建物らしいんだけど、ほら、全然痛んでないだろ? それに、扉も窓も全然開かなくって、誰も入ったことがないんだ。何でも50年くらい前に村に魔法使いが来たときに、村人たちがこの館の鑑定を頼んだんだって。それで分かったのは、こいつには維持と防御の魔法がかかっているってこと。あと、その魔法使いは、「本当の助けが必要なときは迷わずこの館に入るがいい」っていう言葉を残して、去っていったんだってさ。
ジェイルがそう案内してくれた。
よく知ってるね。
まあね。よくおじいさんに聞かされたしね。
おじいさん、ここの出身なの?
そういうわけじゃないけど、よくここに狩りに来てたみたい。これを作ったのもここだって聞いてるし。
ジェイルは答えながら腰に着けていたお守りを取り出した。それはウサギの足で出来ているように見えた。
改めて館を見上げると、村のどの家よりも大きく、瀟洒な感じがした。窓は全て板が打ち付けられていて、中の様子は分からなかった。あと、窓の配置から予測すると4階建てのようだった。
しばらくして僕らは館を後にして、森の方へと馬を進めた。どうやら僕に対する観光案内はこれで終わりらしい……。
森に入ると観光案内は珍獣案内へと変わった。馬から降りて手綱を引いて、前を進んでいたジェイルが急に立ち止まった。
早速、珍種が見つかったよ。見なよ。
指差す先の地面を見てみると、小さな黒い昆虫がいた。
これがユープケッチャ。足の無い甲虫さ。こいつは自分の糞を食べて生きてるんだ。こうして腹を軸にして、長い触覚を使って回転し続ける。そうやって自分の糞にたどり着くんだ。だから、ほら、こんな具合にユープケッチャの回りには円状に糞の山が出来ているだろ。
こんな虫は見たことが無かった。今も触覚をゆっくり動かして回転しているところだった。
この回転の速さが結構正確でね、クォリネの人たちは時計代わりに使ってるって話だよ。
ジェイルはそう解説を打ち切って前へ進み始めた。でも僕はいつまでもこの昆虫を観察していたい気分だった。
次に見つかったのは珍妙な生き物だった。そいつの大きさはネズミくらい。そいつはのそのそと茂みの間から姿を現した。そいつは鼻で歩いていた! 狩りの間は静かにしなければならないことは分かっていたつもりだったけど、思わず僕は声を上げた。
ねぇ! あれなに!
ジェイルは人差し指を唇に当てて答えた。
しぃ。あれはナゾベームってんだ。あの長い4本の鼻で歩くんだけど、動きは鈍いよ。むしろあの目茶苦茶長い尻尾のほうが役に立ってるね。
確かにその生き物の歩みは遅かった。けど僕が声を上げた瞬間、それは尻尾を素早く上へ伸ばし、樹の上へ逃げていった。
逃げたナゾベームを目で追って、頭上を見るとそこには白い生き物がいた。僕にはウサギに見えた。でもそのウサギは枝に二本足で立ち、幹の方へと歩き、更に上へと昇るところだった。
木登りするウサギは初めて見た。ジェイルはというとここに来て初めて弓に矢を番えて、そのウサギのようなものに照準を合わせているところだった。
その数瞬間、僕は息を止めてじっとしていた。放たれた矢は狙い違わず獲物の首に命中した。
がさがさと音を立てて落ちていくそれを拾いに行くと、それは大きさも形もウサギのようだった。
これは何なの?
これはドモスってんだ。見なよ。
そう言ってジェイルはドモスの目を指差した。
……目が青いっ。ウサギの癖に。
だから言ったじゃん。ウサギじゃなくてドモスだって。
あ、さっきのお守りって……。
そう、ドモスの足で出来てるんだ。
更に奥に進むとだんだん暗く、じめじめしてきた。さっきまでは木漏れ日もあったのに、今は密度の濃い樹木のせいでそれさえ差し込んでこない。
ドモスを一匹獲ってからだいぶ時間が経ったように思える。間にいくつか果実も採ったけど、満足いく成果では無いのだろう。ジェイルは前進する足を止めなかった。
ねぇ、まだ帰らないのぉ?
僕が抗議の声をあげた時、またジェイルが立ち止まって前方を指差した。
そこには緑色の苔で覆われた岩があった。その上に、白いネズミが一匹いた。
よく見るとそのネズミは普通のネズミとどこか違っていた。背中に小さな羽根が付いていた。
あれがハネネズミさ。
ジェイルはネズミに近寄ろうとはせず、その場で僕に教えてくれた。
あの羽根は飛ぶためのものじゃないんだ。オスがメスにプロポーズする時にあの羽根が光る。メスが答えるときに光る。その為の羽根なんだ。
ハネネズミは岩に付着している苔を食べているようだった。ジェイルの説明が続いた。
あの羽根には樹と同じように年輪が刻まれているんだ。昔、150歳のハネネズミが見つかってみんなを驚かせたって話もある。ここの生き物はたいてい短命なんだけど……あまり言いたくないけど、クォリネの村人も比較的短命なんだ……だけど、ハネネズミだけは特別で、一匹でいると永遠に近い寿命を持っているんだって。でも、子供を作るとオスもメスもあっという間に死んでしまうんだ。交尾が終わるとね、二匹とも涙を流し始めるんだって。そして子供が生まれると、体液の不足で死んでしまうんだ。
永遠の命を持っているのに、子孫を増やそうとすると死んでしまう……そんなハネネズミの説明を聞きながら観察していると、とても神秘的な生き物に見えた。夜、光るハネネズミを見られたらいいなぁ、とも思った。
結局、狩りはこれでおしまいにした。帰る途中、往路で見つけたユープケッチャは8分の1周、回転していた。
宿屋に帰る頃には黄昏時になっていた。ジェイルは戻るとすぐ、厨房に入った。こういうことは過去何回かあったのだろう、宿屋の人も厨房を使うことを認めているようだった。
ジェイルは奥から、獲った獲物を料理してるから、ちょっと待ってな、と僕に告げた。
宿屋の玄関からすぐ右手に大きめの食堂があって、僕はそこに座って出てくる料理を待っていた。
お腹空いたなぁ、という呟きを20回ほどこぼした頃、ようやくジェイルが姿を現した。
野営中の美味しいメニューってのを開発中でね。食べて感想を聞かせてよ。
手にはシチューらしきものがあった。食卓にはその他に宿屋の人が用意してくれた茹でトウモロコシや、葉菜のサラダが並べられた。
ひょっとしてこのシチュー、ドモス?
彼女は向かいの席に座って首を縦に振った。その顔には、早く食べろ、と書いてあるようだった。
ともかく、空腹は最上のソースなり、の言葉を信じてドモスのシチューを含味することにした……。
食事が終わるとすっかり外は暗くなっていた。待ちに待った夜がやってきた。
僕は荷物の中から望遠鏡を、手製の小さな望遠鏡を取り出して、ジェイルを引っ張るように宿屋から出た。
……しばらく言葉を失った。星々が間近にあったんだ。星降るような、とはこのことだ。あの屋根にもこの屋根にも、星が積もっているようだった。
僕は夢中になって宿屋の屋根に登った。星々との距離をもっと埋めたかった。屋根に座って僕は、しばし圧倒されていた。
こんな壮大な星空を見せつけられると自分がとっても小さく見えた。そして運命とか神とか、そういったことについてぼんやりと考え始めていた。
神学をやってる友達の一人がこう言ってた。君も僕も運命に定められたまま生きていくしかないんだよ、と。神は数え切れないほどいるし、いつでも君のことを観察していて君の行動に干渉しているんだ。
でも、僕はこうとも言えると思い始めた。自分たちにとっての観察者が神なら、星々にとって今こうして星を眺めている僕は神じゃないかと。誰も上を見ようとしなければ、あの星たちの光は存在価値を失ってしまうのでは……。
気が付くといつの間にか横にジェイルが座っていた。まだ、ミルクの量がまずかったのかなぁ、とか呟いていたのでちょっとおかしかった。
僕が小さく笑ったのに気づいたらしく、彼女は僕に声をかけた。
言った通りの星空だろっ。王都にいたんじゃこんなの見られないよ。
そうだね。ジェイル、教えてくれてありがとう。
なに言ってんだよ。ルアのおかげであたいもまたここに来られたんだから、感謝するのはこっちさ。それより星座、作るんじゃなかったの?
そうだった、すっかり最初の目的を忘れていた。僕は思い出したように望遠鏡を取り出し、観察を始めた。よく考えれば、星座を作るという作業自体、神の行いのように思えた。
その晩僕は二つの星座を作った。北を示す星、ポラリスのそばにあった星々にユープケッチャ座と名付け、大冊座の隣にあった星々にハネネズミ座と名付けた。
そういった作業を終えた後も、僕はぼんやり星を仰視し続けていた。ジェイルも熱心に観察しているようだった。
星ってキレイだよね。
僕がぽつりと言葉を漏らすと、
そうだね。
と、横から返事が帰ってきた。僕は素直にその晩の星に感動していた。ジェイルも前に何回か見ているはずだけど、僕と同じだと思った。
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