March 27, 2005

3月の春 27日の午後


 その日は、みぞれ混じりの寒い日だった。
 神妙な面持ちの黒い服を着た人たちが、あの人の家に集まっていた。皆、顔は俯き加減で、そこには陽光が似つかわしくなかった。だから、こんなみぞれ混じりの寒い日で良かった。
 あの人が居なくなってから、わたしはどこにも居ないようだった。
 ワインを飲みすぎた時のように、頭がボーッとしていた。
 そこでは、あの人の家族や友人達が目頭を押さえていた。わたしはあの日を含めて、一度も泣いていない。ただ、頭がボーッとしていた。

 式が一通り終わると、友人達がわたしの所へやってきて慰めの言葉をくれた。
 気をしっかり持つのよ。
 あの人の分も、しっかりしてなきゃ駄目よね。
 そのような言葉の数々。でもわたしはそれらの半分も理解していない。
 それからあの人の友人達……わたしとの共通の友人もいる……は、あの人の為に何かをやろうと企画を持ち出していた。あの人の趣味はパソコンだった。あの人の作ったプログラム類をCDにして、多くの人に知ってもらおう。そんな感じの企画だったと思う。
 あの人たちは、明日から何をするのか決め合っている。わたしは、明日する事も決まらなかった。

 去年の誕生日に、あの人はわたしにパソコンを買ってくれた。主な利用方法は電子メールだった。あの人の仕事の都合もあって、直接会えない日が増えていたし、深夜に電話をかけるのもお互い気が引けたから。
 どう?いいアイディアだろ?
 いつものかすれた声でウィンクする。わたしは笑ってうなずいていたんだと思う。
 あの人の声は好きだった。人によっては耳障りだと言うかもしれないけど、わたしにとっては聖歌だった。その音を出す口は、イチゴを最も好んだ。
 あの人の誕生日には、イチゴをいっぱい、並みの人なら一週間かけて食べるような量をあげた。それでも値段の差は明らかだった。
 3分の1返し?
 冗談を言いながらも、幸せそうに口に運ぶ。優しいかすれた声。

 次の日から、生活が始まった。けど、わたしは何も出来なかった。何をしたらいいのか分からなかった。ただ、習慣に身を任せているだけだった。
 何に対しても気づかなかった。
 たったひとつ、あの人の弟には会いたくなかった。感情らしい感情は、これだけだった。
 わたしは何も認めようとしなかった。

 わたしの血は、幸せな嘘で出来ていた。
 血の赤。嘘の赤。
 ワインの赤。イチゴの赤。
 イチゴの赤。
 止まれ。止まれ。止まれ。
 ……。

 止まれ!
 その声で、わたしは、止まった。
 目の前を、クラクションを鳴らしながら自動車が走っていく。
 声の主はあの人だった。
 違う。
 あの人の弟だった。
 彼はわたしを引き起こし、大丈夫ですかと言った。
 違う。
 彼は何も言わなかった。
 似すぎているその声は、聞こえた気がしただけだった。
 すりむいた膝からは、深紅の嘘が流れていた。
 そして、ワインを飲みすぎた時のように、頭がボーッとしていた。

 習慣に従って、その日の昼、着信メールのチェックをした。
 あの人の言葉の詰まったごみ箱は、もうあの日に空っぽにしてしまっていた。だから、そんな差出人のメールなど、あるはずが無かった。
 あるはずの無いものが、あった。
 新着メール。差出人はあの人。
 違う。
 むきになって頭は否定する。でも、ディスプレイは首を振っていた。
 わたしは、諦めてメールを開いた。
 あの人の言葉が広がる。まだ、一月くらいしか経ってないのに、懐かしさがあった。わたしはその言葉、一文字一文字を頭の中でかすれた声に変換した。




 誕生日おめでとう、ハルヒ。
 これからもよろしくなっ。
 ……えぇと、他に何を書いたらいいのかな?(笑) 誕生日メールなんて初めて書くから、よくわかんないや。
 そうそう、君はいつも自分の名前が安直だって、嫌ってたよね。でも、俺は気に入ってるよ。春に生まれたから「ハルヒ」。ご両親はそう言ったかもしれないけど、俺はこう思ってるよ。
 春の日のように暖かいから「ハルヒ」。春が似合うから「ハルヒ」だってね。
 逆にさ、ハルヒは俺のこんな声を好きだって言ってくれるよね? それ言われてからさ、俺は初めて自分の声に自信が持てた。
 ハルヒのおかげだよ? 喋りたくなくて、メールやチャットの世界に閉じこもってた俺を、外に引っ張り出してくれたのはハルヒなんだよ。
 だからさ、もっと自信を持っていいと思う。

 実は明日、休みを取ってんだ。いや〜一ヶ月以上前から申請しないと、今は取れないの。大変だよ〜(苦笑)。でさ、遊びに行こう。久し振りに、あのイタメシ食いに行こう。10時にいつもの所で待ってるから。用事があって来れないんだったら、即返送してね。
 じゃ、そういうことで。また明日。



 画面が、ぼやけていた。
 瞳から、透明な血が流れていた。
 それは、冷たい真実で出来ていた。
 涙は、しばらく止まらなかった。

 窓を開けた。桜の花びらが風景の中を動いていた。
 わたしはやっと気づいた。
 今日は、春だという事を。
 今日は、わたしの誕生日だという事を。
 あの人が、死んだという事を。
 そして、認める事が出来た。
 
 わたしはその着信日指定メールを眺めながら、明日する事を決めた。
 わたしは自信を持って生きていく。最低でも、今日と明日は生きていく。明日になれば、きっと同じ事を思えるだろう。
 ま、気楽にな。
 そんな、優しいかすれた声が聞こえた。
 まだ少し、ワインが残っている感覚だったけど、それは確かに聞こえた。




10:41:15 | hastur | comments(0) | TrackBacks

March 09, 2005

蝶とサッカー


 「バタフライ効果」って知ってるかい?
 地球の裏側での蝶の羽ばたきが、目の前で起きた竜巻の原因の一つだっていう奴だ。
 そんな訳が無い?
 いや、「空気」で繋がっているんだから、どんなに離れていようがどんなに小さな事だろうが、影響を全く与えないとは言い切れないんじゃないか?
 別に空気じゃなくてもいい。水でも電磁波でも何でもいいんだ。遮断するものが無いんだから、「影響」はあるだろう。

 これが地球の裏側じゃなくて、すぐ目の前に対象があれば、もっと「影響」を与えると思わないかい?

 君が声を上げたから、あのボールはゴールマウスの少し内側に曲がった。
 君が手を叩いたから、あのボールはほんの少しキーパーグローブに吸い寄せられた。
 君が勝利を願ったから、あの選手は一秒早く一ミリ先に動けた。

 そう考えると素敵だろう?


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00:04:12 | hastur | comments(0) | TrackBacks