February 07, 2006

代償



 教室の窓から見えるのは、雨に降られる校庭だった。
 黒板の前では若い教師がのんびりとした口調で講義を進めていた。このコマは『弥生時代』。
 しかし彼女は同時刻に別の場所で行われている『青年心理』の講義が気になっていた。考古学専攻の彼女にとっては、こちらを優先させるのは当然といえたが。

 心理学の教師、Cと初めて出会ったのはちょうど一年前だ。方向音痴の彼女は入学したての頃、この広すぎる学園で迷子になった。その時助けてくれたのがCだった。以来、彼の担当している講義には積極的に出席し、彼の副業としている探偵事務所にも幾度となく顔を出している。
 しかし、誰に対しても紳士的なCの意中は計り知れなかった。更に、彼は鳥人に対する憧れを公言しており、その事が彼女の告白を遮っていた。
 上の空で教師の声を聞き流しているうちに、講義の終わりを告げるチャイムが鳴っていた。

 放課後の中庭に、顔見知りのKを見つけた。彼女は心理学専攻の為、Cの講義には良く参加している。その所為もあって、彼女が出られない講義のノートを頼んだりしている。
 Kから赤いノートブックを借りると、コピーをとるために図書館の方へと足を向けた。
 ふと、上方を見上げると、鳥人の中学生達が外側の窓を拭いていた。雨はまだ止んでおらず、彼らが羽撃くたびに水の粒が飛び散っていた。

 あの翼があれば、あたしもあの人に気に入ってもらえるかしら。

 弱気な考えが少しよぎるが、直ぐに否定する。
 そんなの代償行動じゃない。先生はあの時の講義でこう教えてくれた。「要求が満たされないとき、人は回避行動や代償行動でそれを解決しようとします。更に、要求水準を引き下げたり、抑制・抑圧で済まそうとします。しかしそんなものは一時的な言い逃れに過ぎません……」
 そうだ。無い物ねだりで誤魔化しちゃいけない。
 再び空を見上げると、雲の隙間から太陽が顔を出しており、大きな虹を創っていた。




08:28:44 | hastur | comments(0) | TrackBacks