November 13, 2004
第1回リアクション E3 S−1
第1回リアクション E3 ハスター
ある選択に関する物語・C
音楽が好きで、それを仕事にするというのならやめたほうがいい。それはきっとつらいから。
音楽を仕事にするしかないというのなら、是非やるべきだ。それはきっと楽しいから。
わたし? 当然後者ですよ。
S−1 掘建て小屋の晩餐
わたし、ラグナセカ・タイタヒルがクォリネという村に訪れたのは、その年の3月の事だった。この土地は「奇跡の地」とも「呪われた村」とも呼ばれていた。その所以は村に着いてから聞かされたのだけど、こういう話を聞くと行ってみるか、という気になるのはわたしだけではないはずだ。
大体わたしは芸人だ。それもシンガーソングライターなのであって、歌のねたになりそうなことがあれば首を突っ込むのは当然といえば当然だろう。
まぁそんなわけで当時は王都に滞在していたわたしは街頭で路銀を稼ぎ、クォリネへと旅立った。
クォリネには夕暮れ時に到着した。その風景はわたしの想像とはかなり食い違っていた。木造建築物……だった物の木片が辺りに散らばっている、一言で言えば廃虚だった。
いくら「呪われた村」と言ってもこれは酷い……と惚けて村を眺めていたら、ちゃんと炊煙の上がっているぼろ小屋がいくつかあるのに気付いた。それはそこら辺に転がっている廃材を再利用して作られた、一種のバラックだった。
現地の住人の証言も大事な歌のねた。わたしはその小屋の一つをお邪魔した。
その小屋には一組の夫婦と5、6歳くらいの女の子が住んでいた。丁度夕飯の出来上がるところだった。そういえばお昼に干し肉を齧っただけだったので、わたしもお腹が減っていた。
あの、どちら様ですか?
奥さんの方がわたしに声を掛ける。
いえ、ただの通りすがりの旅芸人ですが……。
一緒に食べます?
そう言って奥さんは食事に誘っていただいた。わたし、そんなに物欲しそうな顔してました?でも背に腹は代えられぬ、わたしは申し出に応じた。
食事の席で夫婦から、今のクォリネの状態について聞くことが出来た。元々は農業と狩猟、そして観光で成り立っている小さな村だったらしい。ところが先月、日食の日に、ヌーという巨大な牛の大群に村が押し潰されたという事だ。
村人はその時は避難していて、今になってぽつりぽつりと戻って来ては復興作業に当っているらしい。
どうしてここは「呪われた村」とか「奇跡の地」とか呼ばれているのですか?
わたしはそう疑問をぶつけてみたが、旦那さんの方は面倒臭がりのようで、古びたリーフレットを手渡した。
ほい。これ読んだら分かるさ。
その表紙には「クォリネの歩き方」と書かれ、初版発行172年3月、第5版発行184年3月、発行元:クォリネ観光協会となっている。
以下はその抜粋。
11:22:38 |
hastur |
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